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大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)655号 判決

被控訴人 大和銀行

事実

控訴代理人の主張

「訴外久保紙業株式会社(以下単に久保紙業と称する)は昭和三〇年一二月中旬倒産したので、一般債権者より五名即ち株式会社吉田洋紙店、今田紙業株式会社、朝日セールス株式会社、北陸紙業株式会社、株式会社北進社が債権者委員に選任されて債権者委員会を構成し、同月二四日久保紙業より会社全財産の譲渡をうけることとなり、その一部として、昭和三一年三月一九日久保紙業がさきに被控訴銀行に預入れていた普通預金六七七、八〇〇円を払戻した金員を、債権者委員会の代表であつた株式会社吉田洋紙店の専務取締役をしていた控訴人に対して、一般債権者に弁済するために譲渡したので、控訴人はこれを自己の預金として改めて被控訴銀行に預け入れたもので、控訴人は完全な譲受人である。そして右譲渡の関係は久保紙業と控訴人との内部関係に過ぎず、被控訴銀行に対する関係では単に控訴人が自己の預金として前記の金員を預入れたものに外ならない。それ故、右新しい預金は久保紙業の預金ではなく、また久保紙業の処分権のあるものでもない。久保紙業は会社財産の譲渡にあたり、そのうちから国税、社会保険料、従業員の給料の弁済をすべきことを申入れ、債権者はこれを承諾していたが、本件に現われた府税については当時支払請求なく、本件預入金員はすべて一般債権者に分配すべきものとして譲受けたものである。それ故大阪府(南府税事務所)の久保紙業に対する本件預金の差押は無効であり、被控訴銀行は右差押債権者に支払うべきでなく、支払をしても無効である。右差押債権者たる大阪府が債権の準占有者であることは争う。右差押の通知書には預金債権者を「久保紙業株式会社にかかる管理人武部亮斎」と記載されているのであるから、大阪府は控訴人に代位し得る外観を具えていない者である。しかも被控訴銀行において右差押債権者に支払をしたのは、久保紙業の預金が残存するものと誤信して、その払戻として為したものであり、差押通知書の確認、検討を怠つており、従つてまた、仮りに右が準占有者に対する弁済と解されるとしても、右弁済につき過失があるから、その効力を主張することができない。よつて控訴人の預金は未だ残存するものである。」

被控訴代理人の主張

「久保紙業は債権者委員会に対して会社財産の管理を委託したものであつて、譲渡したものではない。本件預金は、従前の久保紙業の預金債権の名義を債権者株式会社吉田洋紙店の専務取締役たる控訴人へ変更し、かつその払戻については、債権者今田紙業株式会社の専務取締役たる訴外今田忠彦の連印を要することとしたのみで、控訴人個人の預金となつたものではない。仮りに右が預金債権の譲渡であるとしても、その対抗要件が履践されていないから、差押債権者たる大阪府に対しては、譲渡を対抗できず、久保紙業の預金として為した右差押は有効である。」

理由

先ず、その預金者が何びとであるかは別論として、被控訴銀行松屋町支店に昭和三一年三月一九日普通預金として金六七七、八〇〇円の預入があり、同年六月八日現在においてその残高が金三七〇、八九五円であつたことは当事者間に争がないから右の預金者即ち預金債権者につき検討する。

右預金が、さきに久保紙業が被控訴銀行に対して預金していたものを、右会社が倒産に瀕して債権者委員会が組織され、その委員株式会社吉田洋紙店の専務取締役たる控訴人の名義の預金とするために(その原因についてはしばらく措き)前記預金を控訴人名義に預け替えたものであることは当事者間に争がなく、(証拠)を綜合すると、久保紙業は会社の内整理のため、昭和三〇年一二月二四日頃債権者委員会に対して一部債権者が持去つた会社財産の残存部分全部を、債権者において換価処分して分配弁済をなさしめるために、国税、社会保険、従業員給料の優先的弁済をすることを附帯条件として提供することを約したことが認められ、右提供の趣旨は、換価処分権の付与を主眼とするものである以上、単なる管理の委託ではなく、信託的譲渡と解すべきであつて、右残存財産の一部を形成する本件預金の前身たる預金についてもこれを別異に解すべき理由はなく、証人久保敏雄、久保義則、上田延之助、梅中政武、岡橋治良の証言中右認定に牴触する部分は、前掲証拠に対比して採用し難い。しかも右預金につき前記譲渡を実施するに当つては、後記認定の通り、預金債権のまま譲渡する方法を採らず、一旦払戻の上、改めて譲受人において新預金として預入をしているものである。尤も(証拠)によれば、右控訴人の名義となつた本件新預金の払戻用印鑑としては、控訴人の印鑑の外に債権者今田紙業株式会社の取締役たる今田忠彦の印鑑を要することとされたが、この事実は、本件預金が控訴人の純然たる私有財産ではなく、他の債権者のために信託的に取得した権利であることから生じた制約的徴表としては認め得られるも、それが債権者と利害の対立する元の権利者である久保紙業の権利に属することの資料として見ることはその当を得ないから、前認定の妨げとはならない。また、本件預金の預入直後、この預金より久保紙業の債務に属する国税及び社会保険料の弁済資金が払戻されたことは、(証拠)により明白であるが、この事実も、久保紙業と控訴人及びその利益帰属者たる債権者との間に当初より諒解済の負担の履行行為に過ぎないことは、(証拠)により認められるところであるから、預金自体の支配権の帰属には何等の影響を及ぼすものではなく、従つて前認定を妨げる資料たり得ず、たかだか、預金債務者たる被控訴銀行にその預金者の判定を誤らせる虞となる材料と見られるのみである。そして他面において、(証拠)を綜合すると、本件預金の成立したのは、被控訴銀行支店へ債権者委員会の事務担当者たる訴外今田忠彦と控訴人が、債務者たる久保紙業の社長久保義則、取締役久保敏雄等と同行して、さきに被控訴銀行に存していた久保紙業の預金契約を解約し全額払戻を受けて控訴人に引渡す意図で、その手続を進めたところ、被控訴銀行側よりの預金残置の要望があつたため、控訴人は当日現金で持帰える予定を変更して、自己の預金の形式で被控訴銀行に存置することとし、そのために改めて控訴人個人名を以て預入手続きを為したものであること、及びかかる個人名義の預金は、通例の場合、銀行としては前預金者たる会社とは別人の預金として取扱つている事実が認められ、右に反する証拠はないから、本件預金資金が実質的にも久保紙業の支配を脱して控訴人もしくはその背後に在る会社債権者の支配に帰したものであること(即ち、払戻現金として即時持帰り処分の可能)は、外部即ち預金債務者たる銀行からも覚知し得べき状況に在つたと見られ得ると同時に、預金形式の上からも、預金者は控訴人であつて久保紙業ではないものと解釈すべきであつたということができる。以上述べたほかに、前記認定を左右するに足る資料は存しない。

そこで被控訴人の抗弁する大阪府に対する払戻弁済の効力について判断を進める。

昭和三一年六月八日大阪府より久保紙業の大阪府税滞納による滞納処分として被控訴銀行(第三債務者)に対し本件預金を目当とする差押通知があつたことは、控訴人も明らかに争わないところであり、右滞納債務者が久保紙業である以上は、その被差押財産たる預金も久保紙業を預金債権者と解してなされたものであることは推理上当然である(但し、(証拠)によれば、大阪府南府税事務所長の発した債権差押通知書における債権者の表示は「久保紙業(株)にかかる管理人」として債権者武部亮斎とあつて、相当紛わしい表現を採つている)。しかし、右差押の効力については争があるので按ずるに、滞納処分者たる大阪府において、本件預金の債権者を久保紙業と解したことについては如何なる理由があつたにもせよ、滞納処分債務者の権利に属しない財産に対する滞納処分は当然に無効と解すべきであつて、単に取消し得べきものではない(もしこれを取消し得べき処分と解するときは、不知の間に差押えられた債権の真の債権者は救済の途が殆ど認められない)。被控訴人は、この点につき、久保紙業の預金の譲渡は対抗要件を欠くから、大阪府に対し効力がない旨主張するけれども、本件預金の成立は前認定の通り控訴人個人名による預入によつて成立したもので、久保紙業の預金の譲渡の形を採つていないから、右主張はその妥当する基礎を欠くのみならず、元来対抗要件の問題は、権利譲渡の効果ないし利益を主張する者からの必要条件であつて、その主張の相手方即ち第三者はこれを認めると否との自由を有し、権利譲渡人、譲受人に対して行政処分を為す国又は行政庁は、譲渡当事者に対して第三者の立場に立つ者であるから、かかる第三者として為す行政処分のあり方及びその効力の問題であり、行政処分を受けた譲渡当事者を第三者と見てその者から処分の効力を争うために対抗要件を云為するのは筋違いである。そして行政処分を為すに当つては、譲渡当事者の譲渡行為の対抗要件の有無(これは行政処分を為すべき基盤たる私法的法律関係であつて、行政処分そのものについての対抗要件の適用問題と異なること前述の通り)という形式により処分相手方の地位を判定するよりも、実質的な権利譲渡の如何によりこれを判定するのが、行政処分の妥当性の点より遙かに優れていることは論を俟たないから、通例、処分に当つては、対抗要件の有無よりも、権利譲渡の実質に着眼調査すべきものということができる。いずれにせよ行政処分たる本件滞納処分の効力については、処分者の立場における処分条件の適否のみが問題であつて、その相手方又は無関係者から対抗要件の有無を以てこれを争うことはできないから、被控訴人の主張は理由がない。その他に本件預金差押処分の有効性を認むべき根拠はない。そうすれば、大阪府は代位による取立権を取得していないものというべきである。

次に被控訴人の準占有者に対する善意弁済の抗弁について見るに、前記滞納処分による差押は、権限ある処分官庁がその権限に基いて為した行政処分であることを疑うべき点はなく、ただその処分対象(その特定方法についても他と混同する虞はない)たる預金債権の権利者の判定を誤つた点においてのみその効力が云為されるに過ぎず、右差押債権者たる大阪府がこれにより形式的には本件預金債権について代位による取立権を取得したもの、即ち右預金債権の取立権利者が大阪府となつたことについては、一般取引関係において、右行政処分の当事者以外の第三者(第三債務者もこの関係では第三者とみなされる)としては、一応その有効性を信ずるのは当然であるから、かかる差押債権者は民法第四七八条に定める債権の準占有者に該当するものということができる(厳密にいえば、取立権の取得は債権そのものの取得と同一ではないが、取立権の取得はまた、債権の主体から離れた一種の管理処分権の取得と理解することも可能であり、この意味において、権利行使者として債権者と殆ど同視して差支ない)。そして被控訴銀行が大阪府を正当な差押債権者と信じて即ち善意でこれに対して本件預金のうち金二五六、二六〇円を弁済したことは、(証拠)によりこれを認めることができ、一般私人に対し、右差押処分の効力を裁判を俟たずして直ちに正確に判定するの注意を要求することは些か無理であつて、被控訴銀行が右の善意弁済をしたことについて、一応過失はないものということができる。控訴人主張の差押通知書の預金債権者の表示の検討の点は右の過失を認むべき資料とはならず、右通知書の表示が前認定の如き多少曖昧な形式を採つていることは、会社(久保紙業)又は個人(控訴人)のいずれでも預金債権者として取扱い得る余地を示すが如くにも解されて、むしろ右差押処分の有効性を信じ得る外観とも見られ得るもので、その効力の存在を信じたことについての過失責任を却つて阻却する資料と見るべきものであり、また、一般に銀行は預金債権者の判定を預金成立当初から的確に要求されることは尠く、本件の如き、その払戻に際してにわかにその判定の必要に迫られて、一応公権的処分による差押債権者の指定に従つたとしても(その上、久保紙業には連絡の上承諾を得たことが、(証拠)により認められる)、強ち責むべき過失があろうとも解されない。従つて、本件大阪府に対する善意弁済は有効と認むべきである。

そうすると本件預金は、右弁済と、当事者間に争のないその後の金一一六、六九五円(利息共)の払戻により、全部消滅したものというべきであつて、それがなお残存するものとしてその払戻を求める控訴人の請求は理由がない。

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